No.019

江戸川区(旧区役所・小松川地区)

江戸川区役所(江戸川区史より)

江戸川区役所は現在葛飾区の新小岩が最寄りの中央1丁目にありますが、戦前は荒川を渡った小松川にありました。 当時小松川は南葛飾郡役所時代から続く早くから開けた土地で、区役所、登記所、寄席や映画館に飲食店街がありました。
明治38(1905)年の古地図を見ると、昔の千葉街道は現在の首都高速が上を走る縦川沿いの道で小松川地区を通っていました。

昭和7年10月、江戸川区役所は当時の小松川3丁目4603番地の旧南葛飾郡役所を利用して誕生しました。
35区誕生時、葛飾区をはじめ他の区は新庁舎を建設しましたが本区だけ遅れました。
そして、20年3月10日の空襲で庁舎を焼失、都立第七高等女学校校舎に執務室を間借りしました。 この空襲で一帯は焼け野原になりましたが江戸川区役所文書庫だけは焼け残り、現在も小松川3−6に保存されています。 まわりは平成になって再開発されてこの建物だけが当時を偲ばせています。

23年10月、当時の東小松川4丁目1421番に新庁舎を完成させて移転しました。

城東電気軌道の廃線跡
城東電気廃線跡[16KB]

1985年11月旧中川から小松川地区を望む
城東電気廃線跡[20KB]

2000年08月27日同場所から撮影

旧江戸川区役所
文書庫跡[20KB]

1985年画像のアップ
文書庫跡[25KB]

保存された文書庫跡

上記写真は後の都電25番、城東電気軌道の廃線跡です。バラストと築堤だけでなく架線柱の土台も残っていました。
当時の廃線跡はだいたい道路になりましたが、再開発で途中から曲がった道路になってしまい少し異なります。 終点の西荒川停留所は現在の首都高速道路下り線の真下付近です。
1987.2/10読売新聞江東版記事に戦前の小松川の地図を復元とあり、写真の中央の線路跡に対して右手が旧区役所、 左手が大阪鉄工所小松川工場、少し先で右に少し曲がって左手に都電車庫が並行にあり、さらに進んで西荒川終点でした。

当時、旧江戸川区役所の建物が残っているという話はまったく知られていませんでした。この記事でも出ていません。 ですから街並みの中に残る文書庫跡の写真は偶然写っていたのにすぎません。

 もっと詳しい城東電気へ   昭和7年地図へ(151KB) 

撮影全てyuuki

昭和7年の江戸川区誕生時

区名や地域変更、区役所の設置場所について激しい運動が起こりました。
南葛飾郡第4の区名は、「松江区」を称すべきところ反対とマイナーであると言うことで江戸川区に決定しました。
小松川町は、亀戸町等と編成して「小名木区」を作る意見が出ていました。亀戸町も小松川町と組んで一区を編成したい考えでした。
小岩町では小松川町を除外した町村で区を編成し、小岩町に区役所を設置する要望を出しました。
しかし、結局小松川町は「江戸川区」に入り、亀戸町等小名木区は「城東区」として誕生しました。

そして区役所の位置決定では、荒川放水路を挟んだ松江町と小松川町で激しい誘致運動が行われたが小松川町に決まった。

参考:小岩には小岩支所庁舎が小岩町5丁目211番にありました。区役所通りとか言う通りが今でもあるらしく、昭和7年の悔しさか?

江戸川区(どぶ川以外の風景)

ページを2つに分けました、それぞれのチョット前の江戸川区の風景をお楽しみ下さい。

金魚 [8KB]

金魚注意報

かつて江戸川区には養魚場が沢山ありました。
大部分が埋め立てられましたがまだあの有名な金魚屋のトロッコが残っていました。
写真の足下にはターンテーブルがあります。
平成9年駐車場から撮影 P:yuuki

水門 [9KB]

六価クロム注意報

西洋の城門のよう。
この他、中土手(現在のC2の下)にも二連でそびえていました。
工場が投棄した六価クロム(還元処理済み)の土に埋もれていた頃。
現在は土盛りして大島小松川公園になっています。
H11.2新聞で建設省が小名木川と荒川の間の閘門を復活させる計画が出ていました。
阪神淡路大震災を教訓に”水路”を輸送路に使えるようにするそうです。
昭和?年 P:yuuki

工事中の荒川の鉄橋 [9KB]

工事中の荒川の鉄橋

東大島−船堀間
昭和?年 P:yuuki

船堀駅開業除幕式 [8KB]

船堀駅開業除幕式

たしか開業日の前日だったと思う。
最近は背後にタワーが出来たり凄いです。
駅が出来るチョット前までは小川でいかだ遊びする風景だったのに。
昭和58年12月22日撮影 P:yuuki

開業記念列車 [13KB]

開業記念列車

昭和58年12月22日14:45撮影 P:yuuki

平井駅南口

平井駅ホームから南口

数年前まで平井駅の南口駅前は空が広かったです。
現在の平井4丁目と1丁目の間の道路はかつて葛飾区の水元を源流とした西井堀の下流でしたが、 早くに埋め立てられたのでただの道路(逆井○申塚通り)になってしまいました。
昭和40年代の地図では平井駅前通りに「江城橋」が架かっていました。南口には平井映劇、平井東映も書かれています。
平成年撮影 P:yuuki

平井駅イオカ [9KB] 平井駅

開業時の平井駅(M32.04/28開)は今より東にあって荒川放水路の開通から大正12年1月に現在地に移転しました。
複々線化の頃まで日東硫曹の側線(0.3Km)があったようです。
旧中川には現橋梁の下に昔のレンガ製の橋台が最近まで残っていましたが河川を公園にしたとき壊されました。
右のイオカードは平井駅100周年記念の物です。


都立小松川高校 平井1−27−10 大正5年開校(実科高等女学校、府立第七高等女学校より)

小松川高[4KB]

約10年前に建て替えられた旧校舎は外観も内部も良い雰囲気がありました。
戦時中は屋上に高射砲を配置していました。
戦中戦後は当時の小松川3丁目にあった江戸川区役所が消失して間借りしていたこともあります。
私も内部に入ったことがあります。
コの字型校舎配置から三角形に上り下りする階段がおしゃれでした。
木製の階段部もありました。噂では講堂の作りが豪華だったそうです。
時計台も人気で、旧校舎の人気から新校舎にも時計台が造られたほどです。
P:yuuki

鹿本中学校 本一色 昭和22年開校(鹿本国民学校 大正4年開校より)

鹿本中学校[5KB]

最近まで珍しく木造校舎が残っていて、環七の側道からも見えました。
写真は平成になってからの撮影だと思います。
ちょっと離れますが水元には木造の小学校校舎が保存されています。
P:yuuki


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