|
江戸川区役所(江戸川区史より)
昭和7年10月、江戸川区役所は当時の小松川3丁目4603番地の旧南葛飾郡役所を利用して誕生しました。
35区誕生時、葛飾区をはじめ他の区は新庁舎を建設しましたが本区だけ遅れました。
そして、20年3月10日の空襲で庁舎を焼失、都立第七高等女学校校舎に執務室を間借りしました。
この空襲で一帯は焼け野原になりましたが江戸川区役所文書庫だけは焼け残り、現在も小松川3−6に保存されています。
まわりは平成になって再開発されてこの建物だけが当時を偲ばせています。
23年10月、当時の東小松川4丁目1421番に新庁舎を完成させて移転しました。
城東電気軌道の廃線跡 | |
---|---|
![]() |
![]() |
旧江戸川区役所 | |
---|---|
![]() |
![]() |
上記写真は後の都電25番、城東電気軌道の廃線跡です。バラストと築堤だけでなく架線柱の土台も残っていました。
当時の廃線跡はだいたい道路になりましたが、再開発で途中から曲がった道路になってしまい少し異なります。
終点の西荒川停留所は現在の首都高速道路下り線の真下付近です。
1987.2/10読売新聞江東版記事に戦前の小松川の地図を復元とあり、写真の中央の線路跡に対して右手が旧区役所、
左手が大阪鉄工所小松川工場、少し先で右に少し曲がって左手に都電車庫が並行にあり、さらに進んで西荒川終点でした。
当時、旧江戸川区役所の建物が残っているという話はまったく知られていませんでした。この記事でも出ていません。 ですから街並みの中に残る文書庫跡の写真は偶然写っていたのにすぎません。
もっと詳しい城東電気へ | 昭和7年地図へ(151KB) |
昭和7年の江戸川区誕生時
区名や地域変更、区役所の設置場所について激しい運動が起こりました。
南葛飾郡第4の区名は、「松江区」を称すべきところ反対とマイナーであると言うことで江戸川区に決定しました。
小松川町は、亀戸町等と編成して「小名木区」を作る意見が出ていました。亀戸町も小松川町と組んで一区を編成したい考えでした。
小岩町では小松川町を除外した町村で区を編成し、小岩町に区役所を設置する要望を出しました。
しかし、結局小松川町は「江戸川区」に入り、亀戸町等小名木区は「城東区」として誕生しました。
そして区役所の位置決定では、荒川放水路を挟んだ松江町と小松川町で激しい誘致運動が行われたが小松川町に決まった。
参考:小岩には小岩支所庁舎が小岩町5丁目211番にありました。区役所通りとか言う通りが今でもあるらしく、昭和7年の悔しさか?
|
ページを2つに分けました、それぞれのチョット前の江戸川区の風景をお楽しみ下さい。
平井駅
開業時の平井駅(M32.04/28開)は今より東にあって荒川放水路の開通から大正12年1月に現在地に移転しました。
複々線化の頃まで日東硫曹の側線(0.3Km)があったようです。
旧中川には現橋梁の下に昔のレンガ製の橋台が最近まで残っていましたが河川を公園にしたとき壊されました。
右のイオカードは平井駅100周年記念の物です。
江戸川区のどぶ川へ | 新小岩のどぶ川と橋へ |